甲田悠一郎(25歳/ドラマー)Part.2|20代クリエイター限定インタビューマガジン creatalk

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2. メジャーデビュー、試行錯誤、再出発

甲田悠一郎(25歳/ドラマー)

ーーライブも重ねて知名度も少しづつ上がって来て、高校3年の頃にはデビューの話が少しずつ出てきていたと思うんだけど、その頃は音楽に対する姿勢っていうのは変わってきた?

「でもその時はまだ、やっぱりドラム初めて2〜3年じゃん。レコード会社の人とかがライブに来てくれて話をしてみてっていうのもあったけど、自分の中ではまだ自分の力量でプロになれるとも全然思ってなかったし、逆にこんなんで今後やっていけるのかどうかっていうのはものすごい不安だったし」

ーーただレコード会社の人とかと会ったりする中で、プロっていう考えは少し現実的になってきた?

「もともと中学の時からバンドというか、音楽で飯食えたらなっていうのは思ってたから。ただそのためにどうするかっていうのはまだ考えたことがなくて。とにかく上手くなるしかないっていうので必死だったから」

ーー大学に進学するかどうかってことはどう考えてたの?

「大学には行かないと思ってたし音楽で頑張ろうと思ってたんだけど、ちょうどその時に学校の倫理の授業をすごい面白いって思って。それで哲学とかにちょっと興味を持って、本屋に行ってたまたま手に取って読んだ哲学の本がまたすごい面白くて。それで日大の学部(※日本大学の付属高校だったため)を見たら文理学部の中に哲学科があって、哲学科なら行ってみてもいいかなと」

ーーへぇ、そういう感じだったんだ。

「そうそう。だから軽音があるから高校を選んだのと同じで、哲学科に行けるなら勉強しようかなって思って。それから勉強し始めてって感じだったかな」

ーー具体的に哲学で好きな分野とか人とかいる?

「その時はまず仏教と実存主義にハマって。ハイデガーとかサルトルとかニーチェとかね。死んだらどうなるんだろうっていうことをその頃は考えていて、ハイデガーの「人間は死への存在である」っていう考え方を知って「あー俺が今考えてたことだ!」って衝撃を受けて」

ーーちなみに素朴な疑問なんだけど、哲学科って4年間も何してるの?

「それすごいよく聞かれるんだけど、まぁ哲学だよね(笑)。でも哲学科って言っても哲学と宗教学と倫理学とかあって、そこから自分たちで選択して行って。それでその頃に梅原猛っていう哲学者の『哲学する心』(’68年/講談社)って本に感銘を受けて、いろんな哲学とかチャップリンのこととかも書いてある本なんだけど、その最後に“自分は昔戦争から帰って来て生きる希望を失った時に実存主義にのめり込んだけど、そこは希望がなかったから、今は仏教の研究をしている”みたいなことが書いてあって。それがきっかけで仏教に興味を持ったりもして。だから哲学科に行っても宗教学とか色々あるからね」

ーーでは実際デビューしたのはいつになるの?

「インディーズで出したのが19歳くらいで、メジャーで出したのが20歳か21歳だったかな」

ーー初めてCDが出た時はどんな気分だった?

「んー、不思議な感じだったね」

ーー嬉しかった?

「そうだね、嬉しかったけど、結果が出るのかっていうのは不安だったし」

ーーインティーズで出した時っていうのは、まだインディーズだしっていう引け目みたいな気持ちはあった?

「それは全然なかったかな」

ーーとりあえずCDを出せた嬉しさみたいな?

「それもあるし……相変わらず余裕がなかったよね(笑)」

ーーそれは忙しくてってこと?

「いや、自分に対するもので。自分には実力がないっていうのはずっと思ってたし」

ーーじゃあメジャーデビューが決まった時はどう思った? 「よっしゃぁ!」とか「来たぜ!!」的な感じはあった?

「もちろんそれもあったけど、反面やっぱりそんなに実感もなかったし、実力も人気と共に上がって行くって感じじゃなかったから。まぁデビューはできるけどこの先どうなるか分からないよねっていう」

ーー結構シビアに捉えてたんだね。浮かれた気持ちはなかったんだ?

「多少はあっただろうけど、プレッシャーのほうが大きかったよね。まだまだ今の実力でやっていけるとは思ってなかったし。それは今でもちょっと思ってるけど」

ーーまだ19歳くらいの頃の雑誌のインタビューを読むと「いつメジャーデビューしてもおかしくない」とか「ブレイク必至」みたいに書かれてたけど、でも自分の中ではまだまだっていう気持ちのほうが強かったんだ。

「そうだね。まだまだっていうのもあったし、自分の実力があるっていう自信も実感もそんなにはなかったし。これは個人的な部分でだけどね」

ーー実際メジャーで出してみてどうだった?

「インディーズのときはタワレコ限定とかで売ってたんだけど、メジャーになるともっと色んな場所、HMVとか新星堂とかも挨拶回りで行って……、でも実際そんなに実感はないよね。タワレコとか行ったら「あー置いてある」って思うけど。キャンペーンとかで地方行ったりラジオ出たりとかライブで行ったりもしたけど」

ーー大学も行きつつだったしね。

「そうだね。大学行ったりバンドやったりだったよ」

ーー出したものが売れるっていう自信はあった?

「んー、自信はあったんだけど、インディーズでやってたことももちろん自信はあったけど、何て言うんだろうなぁ。ライブでもメジャーデビューしてからは大きな会場で有名なバンドと対バンやらせてもらえる機会もあったんだけど、演奏が上手くできないこともあったし、イマイチ反応も得られなかったし、そんなに結果が出せなくて。自信はあるんだけど、不安もあって」

ーーイマイチ届いてない、お客さんに響いてない、っていう部分での不安?

「そうだね。だからその中での試行錯誤、どういう曲がいいのか、どういう演奏がいいのかっていう迷いがあったっていうのかな。自分たちでこれがやりたいっていうものじゃなくて、メジャーだから結果が出せるものを作らなきゃいけない、じゃあそれはどんなものか? みたいな考え方になっちゃって」

ーーうーんなるほどね。やっぱりミュージシャンを目指している人たちの多くはメジャーデビューっていう夢を目指しているわけで、そういう人たちがいっぱいいる中で実際にメジャーデビューしたけど上手くいかなかったっていう時の甲田の思いっていうのが今回いちばん興味がある部分なんだよね。まぁ甲田としては苦い思い出だからあまり話したくないかもしれないけど……。それで実際にメジャーでの活動が終わるって決まった時はまず何を思った?

「うーん、そうかぁ……って」

ーーあーそうなんだ。でもメジャーでやれなくてもまだ今後音楽を続けて行くっていう気持ちは変わらなかった?

「そうだね。その時まだ23歳だったし、まだまだって思ってたし、諦めがつくほどやって来たとも思えなかったし。やりきったって思ってたら辞めてたかもしれないけど、そんな充実感はなかったんだよね。自信はあるしやれるはずなんだけど、結果が出せなかった、じゃぁ次はそれを反省してどうしようかっていうことをもう考えてたから。だからもうゼロからやり直したいって言って事務所も抜けて」

 メジャーで上手く行かなかったってことを考えた中で、具体的にどんな部分が良くなかったと思った? これは今までに散々考えたと思うんだけど。

「単純に自分たちの実力不足だった部分はあると思うし、何をやりたいのか核がなかったことかな。だから技術的なこととかプロモーション的なものの問題では全然ないと思っていて」

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甲田悠一郎
(25歳/ドラマー)

甲田悠一郎(25歳/ドラマー)

こうだゆういちろう……1985年1月生まれ、A型。
5歳の頃に高校で出会った渡辺豪(ギターボーカル)と、渡辺の中学の同級生だった平井遥樹(ベース/現在は the birthday のメンバーとして活動中)と共に 『てるる…』 を結成。すぐに精力的なライブ活動を始める。バンドコンテストでの受賞をきっかけに知名度を上げ、03年にインティーズデビュー。平井が脱退するも高校の同級生だった井嶋啓介(ベース/現在はmyuuRyのメンバーとして活動中)が加入し、06年にメジャーデビュー。セカンドミニアルバムの中の1曲『車輪』が「COUNT DOWN TV」07年1月度のエンディングテーマに抜擢されるなどして話題を呼んだ。
その後バンド名をteruru…に変更、ベーシスト井嶋の脱退と原孝允の加入を経て、現在はDichtenと再びバンド名を変えてメジャー時代にできなかった自由な発想と実験を楽しみ、挑戦し続けている。

■Dichten公式サイト…http://www.dichten.jp

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