甲田悠一郎(25歳/ドラマー)Part.1|20代クリエイター限定インタビューマガジン creatalk

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1.残っていたのがドラムだった

甲田悠一郎(25歳/ドラマー)
ーーではまず、ミュージシャンになろうと最初に思ったのはいつだったの?

「中学三年の頃かな。音楽始めた時によくあるような、単純にミュージシャンになりたいなって感じで思ってて。中三だったからちょうど受験で、高校行ったらバンドやろうと思ってたから軽音部がある高校しか受けないって決めてて。だから高校探す時にはまず軽音があるかないかを本で調べた」

ーーえ、そんなの載ってるんだ?

「うん載ってる載ってる。部活とかは出てて、その中に軽音があるかどうかを見てたんだよね」

ーーじゃぁドラムを始めたきっかけは?

「中学の時に選択授業っていうのがあって、ピアノを小さい頃からやってて音楽は好きだったから音楽を選んだんだけど。授業の中では何をやるかっていうのは自由で、ギター弾ける人が何人かいるからバンドやろうかってなって。で、ギター弾ける人とベース弾ける人がいたから、じゃぁ俺はドラムやろー、って」

ーーへー、残ってたもの、って感じ?

「そうそう。それに全く未知の楽器だったから。ミュージックステーションとかでは後ろにいる目立たない楽器って思って観てて「あれは何なんだろう?」って思ってたし」

ーーじゃぁドラムセットも学校にあったんだ?

「学校にあったね。だから昼休みとか毎日練習してたし」

ーー中学でドラムセットなんて普通ないよね?

「うーん、どうだろうなぁ。でも音楽室とかに意外と置いてあったりするけどね」

ーーそうなんだ、全然知らないなぁ。最初ドラム触った時はどんな感じだった?

「もうすごい楽しかったね」

ーードラムに関しての知識が僕は全くないんですけど、最初って何から始まるの?

「まずは本屋で教則本を買ってきて楽譜開いてみて、楽譜に書いてあるどの部分がどれを叩くのかっていうのを確認して、それでもうとりあえず始めたって感じかな。だから右手左手とかも気にせずに、とにかくやってみたっていう」

ーーじゃあ誰かに教わってって感じではなくて?

「うん、本を見てね。それで初めて1曲演奏した時はすごい楽しかったね」

ーー全くドラムに触ったことがないところから始まって、1曲演奏できるようになるまでどれくらい時間がかかったの?

「最初にやったのがビートルズだったんだけど、そんなに難しい曲ではなかったから。そんなにかからなかったと思うな。多分1週間とかそれくらいだった気がするな」

ーービートルズのなんの曲?

「『Please Please Me』(’63年)っていうかなり初期の曲。そのあとはオアシスもやったんだけど、その2曲しか中学の時はやってないんだよね。中学の時は本当に齧っただけで」

ーーそれで高校に入ってすぐ軽音に入ったんだ。

「そうだね。俺は中学の時は齧っただけですぐ受験だったし、2曲しかやったことないから今後どんな音楽がやりたいとかもなかったけど、とりあえずバンドやりたいドラムやりたいって思ってたから」

ーーということはその時点で結構音楽的な経験も豊富である程度の技術もあって、しかもやりたい音楽も定まっているっていう人もいたの?

「そういう人も軽音の中にはいたと思うよ。でも俺は全然ロックとかも聴いてなくて、福山とかSMAPとか聴いてた頃でね(笑)。知っててハイスタ(Hi-STANDARD)とか、それくらいだったから。全然ロックっていうジャンルも知らなかったし」

ーー軽音部の中ですぐにバンドの形はできたの?

「そうだね。今一緒にやってる豪(※渡辺豪:Dichtenのギター・ボーカル)もいたし、井嶋(※井嶋啓介:メジャーデビュー時のTERURU…ベーシスト)もいたし、色々とフィーリングが合って一緒にやることになって。豪はその頃BLANKEY JET CITYがすごい好きだったんだけど、でも俺はブランキーって言われても全然知らなかったから、こういうのなんだよってカセット貰って。まだ当時はカセットだったから、それで初めてブランキー聞いたんだよね」

ーー最初はやっぱりコピーなんだよね?

「最初はそうだね。でも豪は中学の頃から結構盛んにバンドをやっていて、中学の頃の友達だったベースの人と学校外でもバンドをやりたくてドラムを探してたらしくて。それで俺は豪と学校の軽音で一緒にやってたんだけど、外でもバンドやってるから一緒にやらない? って声かけてもらって」

ーーその時にドラムがいなくて、たまたま甲田だったってことなのかな?

「ちょっと話をしてみて、真面目そうだからって(笑)。募集して色んな人とやってみたりもしたらしいんだけどね。俺なんかまだ始めたばっかりの初心者だったのに」

ーーそれがてるる…の母体になるわけだよね。じゃあ軽音部でやってたバンドではどんな曲をやってたの?

「最初はだいたいミッシェルガンエレファントとブランキーばっかりだったね。あとは後半になってくるとイースタンユースとか、ナンバーガールとかその辺のロックをやったりしてたかな。まぁ俺はさらに他の人と福山をやったりもした(笑)。女子校に行って演奏したんだけどね」

ーーえ、バンド編成で福山(笑)?

「そうそう。俺がドラムで、ギターボーカルとピアノと三人でね(笑)。それは1回だけしかやらなかったけど、そんなこともやってたね」

ーー豪華な福山だね(笑)。学校で軽音部の練習する時って機材は自分で持って来てたの? 

「いや、一応全部軽音部の機材でやってたんだよね。だからその辺は一通り揃ってたし、普通に教室で練習してたしね。相当うるさいから普通はなかなかやらせてもらえないと思うんだけど、そういうのが許されてたから練習はしやすい環境だったし、珍しい学校だったのかもね」

ーーでは学校外でやっていたてるる…の練習はやっぱりスタジオで?

「そうだね。最初は確かブランキーをやってて、その時にはもうオリジナル曲はあったんだよね。初めて3人でスタジオ入った時にそのオリジナル曲は聴かせてもらって、オリジナルでやりたいっていうのも聞かされてたから。自分はその頃は始めて間もないし、何でもやりたいって感じだったからコピーでもオリジナルでもいいと思ってたし」

ーーその時の自分の中のイメージとしては、学校でやってるバンドよりもてるる…のほうが面白いっていう感じはあった?

「てるる…はオリジナルでやってたからっていうのもあるしね。でも俺としては自分が上手くなることで必死だったから、バンドとしてどう活動するとかそんなことは全然考えてなくて、とにかく練習練習って漠然としか考えてなかった時期だったよ。だから学校でやってる時もてるる…をやってる時もどっちも楽しかったよね。真剣さは変わらなかったし」

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甲田悠一郎
(25歳/ドラマー)

甲田悠一郎(25歳/ドラマー)

こうだゆういちろう……1985年1月生まれ、A型。
5歳の頃に高校で出会った渡辺豪(ギターボーカル)と、渡辺の中学の同級生だった平井遥樹(ベース/現在は the birthday のメンバーとして活動中)と共に 『てるる…』 を結成。すぐに精力的なライブ活動を始める。バンドコンテストでの受賞をきっかけに知名度を上げ、03年にインティーズデビュー。平井が脱退するも高校の同級生だった井嶋啓介(ベース/現在はmyuuRyのメンバーとして活動中)が加入し、06年にメジャーデビュー。セカンドミニアルバムの中の1曲『車輪』が「COUNT DOWN TV」07年1月度のエンディングテーマに抜擢されるなどして話題を呼んだ。
その後バンド名をteruru…に変更、ベーシスト井嶋の脱退と原孝允の加入を経て、現在はDichtenと再びバンド名を変えてメジャー時代にできなかった自由な発想と実験を楽しみ、挑戦し続けている。

■Dichten公式サイト…http://www.dichten.jp

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