木下晋也(29歳/漫画家)Part.1|20代クリエイター限定インタビューマガジン creatalk

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1.消去法で残ったのが漫画家だった

木下晋也(29歳/漫画家)

ーーまずプロフィール的なところからお聞きしますが、大阪出身ということですが東京に出て来たのはいつなんですか?

「大学卒業してすぐでしたね」

ーーとうことは就職とかですか?

「いや、それはですね、当時から今も付き合っている彼女が大学の先輩でして、就職が決まってもうこっちに来てたんですよね。それで追っかけて来たみたいな感じです(笑)」

ーーおお、そうなんですか! では漫画家になろうと思ったのはいつ頃だったんですか?

「上京した時は何も考えずに来ちゃったので、しばらくはフリーターみたいな感じでやっていて。何かやらなきゃなっていうのは思ってたんですけど、でもサラリーマンはあまりやりたくないし出来ないんじゃないかなっていうのも思ってて。それで元々お笑いは好きで、漫画も小学生の時とかに教室で書いて友達に見せたりっていうのはしてたんで」

ーーやっぱり小さい頃から書いてたんですね。小学生の頃はどんなものを書いてたんですか?

「いちばん小さい大学ノートに書いてたんですけど、ドラゴンボールを丸々パクったやつですね(笑)」

ーー漫画を友達に見せたりっていうこともあったと思うんですが、その時の反応はどうでした?

「何冊か書いてあったんですけど、昼休みとかはみんなで回し読みみたいになっていて。漫画家になったのはその時の嬉しさがあったからかもしれないですね」

ーーでもその頃は漫画家になろうっていうのはまだ思ってなかったんですか?

「それはもう全然ですね。絵のヘタさは自覚してたので(笑)」

ーーでは大学を出てから上京して、東京で漫画を書き始めたのはどうしてだったんですか?

「お笑いがやっぱり好きだったんですよ。大学の時に落研(落語研究会)に入ってましたし。そこで漫才とかコントとか色々お笑いをやっている間に、芸人は無理だなっていうのは分かったんです。演技力とか声の通らなさとか色々考えると、やっぱり無理だなって。あとはもう漫画くらいしか自分の持ってるものはなかったんで」

ーーえ、消去法で漫画家が残ったんですか?

「そうですね」

木下晋也/ユルくんデビュー作である『ユルくん』
(東京漫画社)
ーー消去法ですごいのが残りましたね(笑)。デビューは25歳頃の 『ユルくん』 (東京漫画社)になりますが、デビューのきっかけを教えて下さい。

「ギャグ漫画家さんがいっぱい集まった雑誌(「comicギャグダ」)が東京漫画社さんから出ていて、その本をたまたま本屋さんで見かけたら投稿募集って出てたんです。それで持ち込んでみたら採用されたって感じで」

ーー『ユルくん』も4コマ漫画でしたけど、小さい頃から4コマを書いていたわけではないんですよね?

「小さい頃は普通の漫画でしたね」

ーーということは、東京に出て来て漫画を書き始めた時に選んだのが4コマだったんですか?

「そうですね。未だになんですけど、長い話があまり書けなくて」

ーー長いストーリー漫画っていうのは最初から頭の中にはなかったんですか?

「そうですね、全くなかったです」

ーー上京してから2年しか経ってないうちにデビューということになりますが、『ユルくん』も連載だったんですか?

「一応連載っていうことで始まったんですけど、僕が買って応募を見たのが創刊号で、2号目でいきなり載ったんですけど、その2号で雑誌が終わっちゃったんですよ(笑)。でも読者の方が面白いって言ってくれてたらしく、大幅に書き下ろして1冊作ったっていう流れでした」

ーー単行本が出た時はどんな気分でした?

「嬉しかったですけど、不思議な感じでしたね」

ーーこれで漫画として食って行けるかなっていうことは思いましたか?

「それはまだ全然なかったですよ。やっぱりバイトとかしながら書いてましたし」

ーーサラリーマンをやろうとは思わなかったっていうことを最初におっしゃってましたが、就職しようとは全然思わなかったんですか?

「就活はなんとなくしてたんですよ。でも大手だけ受けるみたいな無謀な感じで(笑)。うーん、何か、社会不適合な感じがあるんじゃないかなっていうのを自分では思ってて」

ーー就活では方向性とか、やりたい仕事とかはあったんですか?

「大学が放送学科だったんですよね。だから放送作家とかがいいなって。あとはオモチャとかゲームとか、そういう感じのところを何社か受けました」

ーー営業みたいなサラリーマンをがっつりやるというよりも、やっぱり何かを作る方向に向いてたんですね。

「そうでしたね」

ーーでは25歳でデビューしてから『ポテン生活』が始まるまでは特に掲載はなかったんですか?

「雑誌とかの媒体ではなかったですね。ただ個人的にブログをやってまして、そこに1日1本はアップするように心がけていて」

ーーへーそうなんですか、それは知らなかったです。その頃からテイストは今の感じで?

「その頃はもう思いついたら何でも書いちゃおうと思っていて。だから今の『ポテン生活』みたいなものもあれば、もっと飛んでるやつもありました」

ーーそれはやっぱり4コマとか8コマとかでした?

「バラバラでしたね。2コマとかもありましたし」

ーーそのブログはいつ始めたんですか?

「確か『ユルくん』が出た次の年とかですかね。26歳くらいだったと思います」

ーーそれでブログを更新しながら持ち込みをする日々だったと思うんですが、その頃はもちろん収入はバイト程度だったと思うんですけど、不安ってありました?

「それはやっぱりありましたね。でも結構楽観的なのか何なのか、別にこんな状態でやっていっても全然いいやって思ってて。タイムリミットとかはあまり考えずに」

ーーその時はもう25歳とか26歳ですから、同い年くらいの周りの人たちはバリバリ働いててっていう人が多かったと思うんですけど、そういう人たちを見て、自分はこれでいいのかなっていう焦りとかはなかったですか。

「……あまりなかったですね(笑)。やっぱり芸大出身だったんで、真っ当に働いている人が周りにほとんどいなかったっていうのもありますかね」

ーー周りにはどんな人が多かったんですか?

「芸人目指したりとか色々ですけど……、大学出てすぐに働き始めた人はほぼいないですね。ちょっとフラフラしてる期間があって、鉄道員になった人とか先生になった人とかはいますけど」

ーーしばらくはブログで漫画を描いて、そのうち売れて食って行けるようになればいいかなっていう軽い感じで?

「そうですね。ただ『ユルくん』が一冊出てたのがちょっと自信になってたのもあったかもしれないですね。今考えると怖い自信ですけどね、調子乗ってるみたいな(笑)」

ーーでも『ユルくん』が出たことで浮かれた感じでもなかったんですよね?

「そうですね、浮かれはしなかったです」

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木下晋也
(29歳/漫画家)

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きのしたしんや……1980年大阪生まれ。
06年に 『ユルくん』 (東京漫画社)でデビュー。8コマ漫画 『ポテン生活』 で 08年の講談社MANGA OPENで大賞を受賞し、モーニング、モーニング・ツー、モーニング公式ウェブサイトにて同作の連載をスタート。現在は他にまんがくらぶ(竹書房)、季刊真夜中(リトルモア)などに連載を持っている。『ポテン生活』は現在コミック1巻〜3巻が絶賛発売中。

【公式ウェブサイト】……『ポテン生活』木下晋也

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